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豊橋 池田整体 090-9930-4310
2015年05月17日
介護のあり方
おはようございます
先週末、名古屋で「生活リハビリ講座」という講座に主人と参加してきました。

シリーズ第一回目のテーマは「介護の専門性とは何か」
講師は三好春樹先生。
介護を仕事とする人が目指すべき本当の介護のあり方を示してくれる方です。
介護の専門家であり理学療法士(リハビリで機能訓練をする専門職)でもある三好先生は、30年前からお年寄りのリハビリは、機能訓練室で行うものじゃない。毎日の生活の中で繰り返し行われる全ての行動がリハビリになる。と言われています。
そこにメインで係わる介護職の果たす役割の大きさ・重要性を説き、介護という仕事のおもしろさ・魅力を再確認させてくれる方です。
わざわざ時間をつくって、リハビリ室で足を上げ下げ上げ下げさせるようなリハビリよりも、トイレに行くという生活行為・動作にきちんと係わることのほうが、うんと価値のあるリハビリであり、効果的である。と。
ベットから起き上がる、トイレに行く、お風呂に入る、ご飯を食べる、一日に何度も繰り返されるそれらの当たり前の動きをもっともっと大切にして、生活の場で、お年寄りが受身でなく「生活の主体」となるようにすることで初めて老人が生きる。
医療・看護が相手にするのは病人・患者。治療の対象。
明日・未来によくなるための仕事。
一方、介護が相手にするのは障害者・生活者。生活の主体となる主導者であって何かの対象物ではない。
障害をもちながら、認知症でありながら、残された機能で、いかにその人らしく生きるか。今、今日、ここでいかに笑顔を引き出すか。それを考え、支えるのが介護の仕事。
介護を作業にしてはだめ。
マニュアルは通じない。
100人いたらみんな違う。目の前にいる老人をみて、湧き上がってくるものを大切にしよう。と。
三好先生はとても特徴のある話し方。田村正和の演じる古畑任三郎風。
講演では必ずご自身が係わったお年寄りのエピソード話がいくつもの出てきます。
それぞれ最高におかしいドラマがあって、会場にいる参加者(ほぼ全員介護関係者。主人以外
)が先生の話すうそみたいな本当の話に引き込まれ、登場する個性的なおじいさん、おばあさんを想像して、その介護の場面・状況を楽しみます。
「在宅で娘さんと暮らしている〇〇〇〇(リアルなおじいさんのお名前)さん。認知症です。
ある夜、もう寝ようかっていう時間に、急に服を着替え始めて、『いまから村の集会所に行って来る』『みんな集まっているからわしが行かんとはじまらない』と言うんだそうです。
こうなると何を言ってもきかないことを娘さんは知っているんですね。『今日でしたか。その服でいいですか。』なんて言って〇〇さんの世界に付き合うんです。家族でここまで出来る方はなかなかいないんですが、『ひげもそったら?』『手ぶらでよかったですか?』なんて時間稼ぎをしたりして。玄関でも『あら、靴が磨いてなかった。ごめんなさい、ちょっと待ってて』
さて質問です。全ての支度が整い、玄関で立ち上がった〇〇さんに娘さんが言った言葉はなんでしょう。
『お帰りなさい 』
〇〇さんは『ああ、そうか』といって素直に家にあがり、お茶を飲んで寝たそうです」


「何をいっているの?」「こんな時間ですよ」「集会なんてありません」と言葉を荒げるより、ちょっとお年寄りのいる世界につきあう。そして相手の様子を見ながらタイミングよく時間・場面設定を切り替えるとそれに不思議と乗ってくる。本人(お年寄り)も最後の方はちょっとおかしいなって思ってるんです。
外でぐずって泣き叫ぶ小さい子供に、「あ、飛行機!」というだけで、うそみたいに気持ちや興味の対象が切り替わるのと同じです。子供も泣き止むタイミングを待っているんですよね。
介護は最高に人間的な仕事。
感じて、考えて、仮説を立てて、やってみて、手ごたえを感じ、達成感を味わえる。
こんなおもしろい仕事はない。
医療・看護が見るのは問題点・出来ないこと。
介護は良い点・出来ることを見よう。
今出来ること、残った使える機能を使って老人が主体となって生きれるように、介護者は老人の杖となり、手すりとなり支えよう。
結婚前(10年前)、夢中になっていた介護の世界。
私がかかわっていた仕事(世界)を知ってほしくて、半強制的に連れて行かれた主人も「面白い。来てよかった」
オススメです。本も沢山書かれています。興味のある方は是非
生活とリハビリ研究所

先週末、名古屋で「生活リハビリ講座」という講座に主人と参加してきました。
シリーズ第一回目のテーマは「介護の専門性とは何か」
講師は三好春樹先生。
介護を仕事とする人が目指すべき本当の介護のあり方を示してくれる方です。
介護の専門家であり理学療法士(リハビリで機能訓練をする専門職)でもある三好先生は、30年前からお年寄りのリハビリは、機能訓練室で行うものじゃない。毎日の生活の中で繰り返し行われる全ての行動がリハビリになる。と言われています。
そこにメインで係わる介護職の果たす役割の大きさ・重要性を説き、介護という仕事のおもしろさ・魅力を再確認させてくれる方です。
わざわざ時間をつくって、リハビリ室で足を上げ下げ上げ下げさせるようなリハビリよりも、トイレに行くという生活行為・動作にきちんと係わることのほうが、うんと価値のあるリハビリであり、効果的である。と。
ベットから起き上がる、トイレに行く、お風呂に入る、ご飯を食べる、一日に何度も繰り返されるそれらの当たり前の動きをもっともっと大切にして、生活の場で、お年寄りが受身でなく「生活の主体」となるようにすることで初めて老人が生きる。
医療・看護が相手にするのは病人・患者。治療の対象。
明日・未来によくなるための仕事。
一方、介護が相手にするのは障害者・生活者。生活の主体となる主導者であって何かの対象物ではない。
障害をもちながら、認知症でありながら、残された機能で、いかにその人らしく生きるか。今、今日、ここでいかに笑顔を引き出すか。それを考え、支えるのが介護の仕事。
介護を作業にしてはだめ。
マニュアルは通じない。
100人いたらみんな違う。目の前にいる老人をみて、湧き上がってくるものを大切にしよう。と。
三好先生はとても特徴のある話し方。田村正和の演じる古畑任三郎風。
講演では必ずご自身が係わったお年寄りのエピソード話がいくつもの出てきます。
それぞれ最高におかしいドラマがあって、会場にいる参加者(ほぼ全員介護関係者。主人以外

「在宅で娘さんと暮らしている〇〇〇〇(リアルなおじいさんのお名前)さん。認知症です。
ある夜、もう寝ようかっていう時間に、急に服を着替え始めて、『いまから村の集会所に行って来る』『みんな集まっているからわしが行かんとはじまらない』と言うんだそうです。
こうなると何を言ってもきかないことを娘さんは知っているんですね。『今日でしたか。その服でいいですか。』なんて言って〇〇さんの世界に付き合うんです。家族でここまで出来る方はなかなかいないんですが、『ひげもそったら?』『手ぶらでよかったですか?』なんて時間稼ぎをしたりして。玄関でも『あら、靴が磨いてなかった。ごめんなさい、ちょっと待ってて』
さて質問です。全ての支度が整い、玄関で立ち上がった〇〇さんに娘さんが言った言葉はなんでしょう。
『お帰りなさい 』
〇〇さんは『ああ、そうか』といって素直に家にあがり、お茶を飲んで寝たそうです」


「何をいっているの?」「こんな時間ですよ」「集会なんてありません」と言葉を荒げるより、ちょっとお年寄りのいる世界につきあう。そして相手の様子を見ながらタイミングよく時間・場面設定を切り替えるとそれに不思議と乗ってくる。本人(お年寄り)も最後の方はちょっとおかしいなって思ってるんです。
外でぐずって泣き叫ぶ小さい子供に、「あ、飛行機!」というだけで、うそみたいに気持ちや興味の対象が切り替わるのと同じです。子供も泣き止むタイミングを待っているんですよね。
介護は最高に人間的な仕事。
感じて、考えて、仮説を立てて、やってみて、手ごたえを感じ、達成感を味わえる。
こんなおもしろい仕事はない。
医療・看護が見るのは問題点・出来ないこと。
介護は良い点・出来ることを見よう。
今出来ること、残った使える機能を使って老人が主体となって生きれるように、介護者は老人の杖となり、手すりとなり支えよう。
結婚前(10年前)、夢中になっていた介護の世界。
私がかかわっていた仕事(世界)を知ってほしくて、半強制的に連れて行かれた主人も「面白い。来てよかった」
オススメです。本も沢山書かれています。興味のある方は是非

生活とリハビリ研究所